「モンゴルで考えた住育、そして日本と世界の行く末」

   松岡紀雄(神奈川大学経営学部教授・大学院経営学研究科教授)

本年5月、初めてモンゴルへ行き、宇津﨑さんと一緒に首都ウランバートルで「住育講演会」を開催しました。
その後、私たちは列車で4時間、ゲルと遊放民の村を訪問しました。

人口3700人の村でしたが、幼稚園、小学校、中学校などで出会う子どもたちの澄んだ笑顔に、大変、心を和まされました。

モンゴルでは全人口の40%の100万人が首都に集中しており、貧富の差は激しいものがあります。
豪華なマンションが並ぶ一方で、首都の外縁部にはゲルが取り囲んでおり、安い石炭を燃やすことによる大気汚染は深刻です。個室中心のマンション生活では家族の絆が失われていくばかりで、宇津崎さんが訴える「住育」に強い関心が寄せられたのが印象的でした。「ゲルに帰りたい」という声も多いということです。

戦後の日本は、住む家も着る物もない廃墟からの再出発でした。それが戦後わずか23年、1968年には、日本はアメリカに次ぐ経済大国に発展しました。ただ、その背景で、特に男性は会社人間となり、国や地域のことは首長や議員、官僚に万事任せてしまう、それが民主主義だと勘違いしていました。最近の日本はどうでしょう。

経済大国といいながら、リストラやパート、ニートの問題、劇的な少子高齢化の進展や、教育の荒廃や基礎学力の低下、治安の悪化やモラルの低下、資源の枯渇や環境破壊、財政破綻に年金問題、大規模地震災害や新型ウイルスへの恐怖、階層社会や格差社会などに苦しんでいます。

1990年代以降、数百年に一度といえる革命的な環境変化が起こっています。我々の行く手には、タイタニック号のように大きな氷山が立ちはだかっているのです。それにしても、どうして前方の重大な危機に気付かないでのほほんとしていられるのでしょうか。

経営学では「ゆで蛙現象」と言います。熱湯にカエルを放り込むと、カエルは熱さに気づいて飛び跳ね、生き延びます。しかし、水から徐々に温めていくと、カエルはのほほんとして茹で上がって死んでしまうのです。それが他ならぬ現在の我々ではないでしょうか。大切なことは変化に早く気付き、勇気をもって対応していくことです。1973年に私は英国の歴史学者アーノルド・トインビー教授を訪ねましたが、彼は「世界の多くの文明は外敵に滅ぼされるよりも、内から滅びた」と警告していました。有名なインテルの会長も、「パラノイア(病的なまでの心配性)だけが、この危機を生き延びることができる」と言っています。

日本で最も深刻な問題は、あまりにも急激な少子化の進展です。それにしても、なぜこれほどまでに子どもが生まれてこないのでしょう。唯一の解決策は、「こんな社会に生まれてきたい」と思えるような、魅力と活力あふれた社会を築いていくことです。そうした社会を築くのは誰なのか。行政だけで対応できることではありません。まず、子どもたちが「生まれてきたい」と思えるような家庭や地域社会を築くことです。その次に、日本や世界が直面する難題に果敢に挑戦する、知恵と気概と行動力を持った人材を育てていくことです。大学教育では間に合いません。小中学校でも遅すぎます。決め手は「家庭と地域社会」です。「住育」はその絶好の突破口だと思います。

人類の歴史を振り返って、難題解決の突破口を開いてきたのは、その時代、時代の地位のある、偉い人ではありませんでした。時代、時代の変な人が、思いもよらない方法で難題解決の「突破口」を開いてきたのです。「変な人」とは、自分のことより社会のこと、今のことより将来のことを思いやり、柔軟な心で真剣に学び、考えて知恵を出し、勇気をもって提言や行動ができ、やさしく強い人です。最大の敬意を込めて、宇津崎さんは実に変な人だと思います。

皆さんには、一所懸命ではなく、二所懸命の生き方をしてほしいと願っています。会社、勉強だけではない。福祉、教育、文化、スポーツ、環境問題と、テーマは問いません。何かもう一つ、自分を生かして社会に貢献できることに取り組んでほしいのです。そのためには「創造力」が欠かせません。創造力は、様々な分野にわたる既存の知識や多様な体験、それらの意外な組み合わせから生まれます。創造力を生かして一人ひとりが輝けば、まちも国も自然に輝き出します。

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この記事を書いた人

一社)日本住育協会 理事長
株式会社 ミセスリビング 代表取締役 

住育間取りプランナー/ 講演家

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